私の軌跡・・・Part3

21歳、有限会社インターワークジャパンに入社。
前社にいた先輩3人も同じ頃に退職し、私と一緒にこの会社で働くことになりました。
合計4人。
当然、事務所に入りきらないので隣部屋を借りて新事務所開設!
(事務所は東区泉3丁目、ヨシコービルの4階。
ビルといっても1DKのマンションを事務所に改装したもので、
家賃は5万円、当然エレベーターはなし)

無理矢理お世話になったので家賃から経費は全て実費。
給料も仕事ができなければ無し。
しかし、若い私たちの前途は自信に満ちて光り輝いていました。
(ただこれも一時だけ・・・)

まず、誰をトップにするかの話し合い。
お互いに自分の意見を出し合いましたが話が平行線をたどり、
結局一番仕事ができる先輩Yが納得できないのか会社に来なくなりました。
で、だれもトップにせずみんな平等
(誰が仕事・契約をしても平等に給料は3人で分配)というスタイルでスタート。

事務所内には机が2台、電話機1台、FAX付電話機1台
、5人掛けソファー1個。
当時(約20年前)は今と違いパソコンなんて無い。
(勿論、携帯電話もなくポケットベルを持っていた。)

物件のデータもファイルを作り1枚1枚手書き。
いつも1台しかない電話を取り合い、
物件が空いているかどうかの確認はFAXの電話機を使うルールになっていた。
この確認作業も中村区・中区・東区・千種区・名東区と行い、
変更があれば現在のデータを消しゴムで消して書き直す。
めちゃくちゃ手間のかかる仕事でした。

一通り貸主さんに挨拶に回り、物件データも完成。

『さてこれからだ!』
という時に肝心なお客様がいない・・・。

今思えば当然でしたが、
『俺たちならすごい売上げを上げる』
という過信だけで突き進んでしまっていたのでした。

引き受けてくれた山田社長も、
売上げが作れない私たちを冷ややかな目で見てくるし、
まともに口も聴いてくれない。
それどころかたまに
『お前たち月に何百万も売上げを上げれると言ってたじゃないか?』
なんて嫌味まで言われる始末。

“さて、どうするか!?このままでは成り立たない・・・”

続きはPart4で・・・